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私ごとですが父が4月に99歳で、母が5月に95歳で身罷りました。

生前のご厚情に心より感謝申し上げます。

思えば息子思いで始末の良い両親でした。

何か予感がしたのか、倒れるひと月前には実家の補修や庭の葉刈りを完了し、

表札まで新調していました。

歳を取ってからも過度に息子に頼る事なく、

認知症が進んできた母にかわり父が家事をこなし、

穏やかに夫婦で暮らす毎日でした。

母が認知症を発症した頃から夫婦での施設入所を勧めていましたが、

行けるところまで実家で二人で暮らしたい、

「倒れた時は後を頼む」という事で、実家での生活をサポートしていました。

その父が半年ほど前に実家で倒れ入院となりました。

入院中の父は、常に母のことを気にかけて、様子を聞きたがりました。

「お母さんは元気だよ、食欲モリモリだよ」と伝え、

撮ってきた動画を見せると安心していました。

積極的にリハビリもこなし、iPadも使い、「いっぱい食べれば食べるほど早く退院できるよ」と

伝えると、何度も復唱して、「早く退院してお母さんのところに行く」と言います。

倒れる前はゆっくりながらも、杖なしで歩いていました。

倒れてからは寝たきりになるものと覚悟しましたが、

リハビリの甲斐あって、歩行器でなんとか歩けるまでに回復しました。

 

対して母は、60年以上の結婚生活で、初めての一人暮らしができると喜びましたが、

認知症も相まって、父が入院していることなどすぐに忘れて、

「最近あの人見ないけど死んだの?」などと言います。

入院していると伝えると、

「どこが悪いの?あの人は弱虫だからね。病院で泣いてるでしょ」と。

でも、「もうじき退院できる」と伝えると、ほっとした表情を浮かべます。

やはり一人暮らしは寂しかった様です。

 

退院後は父母揃ってのサ高住での生活となりました。

施設ならびにデイサービスの皆さまのお陰で、

実家にいた時よりもサポートがしやすくなりました。

 

物分かりの良い父は、施設生活を甘んじて受け入れ聞き分けの良い入居者となりました。

聞き分けが良過ぎて、もっと我儘を言っても良いと伝える程でした。

ほとんど認知に問題はなく、物忘れが良いこと以外は、

過去の記憶も判断力もあり、言われた事を前向きにこなそうとしていました。

いっときせん妄が出ましたが、論理的に説明すると納得し、

その後せん妄が出る事はありませんでした。

身罷る1時間ほど前までは、しっかりと受け答えも出来ていました。

ですのでそんなに早く旅立つとは思えず、

握っていた手の力が抜けたのは、寝たのかと思ったほどでした。

 

母は入所後に末期癌が見つかり、余命3ヶ月と診断され、緩和ケア病棟を予約しましたが、

特に痛みも訴えず、食欲もあり、体調の変化も見られませんでした。

本人に尋ねても、どこもなんともないと、受診した事を不思議がりました。

春まで持たないと覚悟していましたが、

予想に反し櫻の季節を超え、藤の盛りも迎えられました。

母は見た目とは裏腹に、豪放磊落な性格で、父曰く「豪傑」でした。

認知症が進んでも、その性格は変わりませんでした。

「わたしなぁ、頭がぼうっとしてよぉわからへんのよ」と、ボケている事も自覚していました。

足腰が弱ってはきていましたが、ほぼ介助なしで歩行可能でした。

外食に連れ出すと私よりも食欲旺盛でした。

ある時母と外食している折に、

「こんなボケた婆さんを食事に連れて来てくれるなんて、アンタはええ子やなぁ〜。

神さまに逢ぅたら言ぅとくわな」などと、涙腺が決壊する様な事を言います。

 

認知症の良いところは、すぐに忘れてしまうこと。

そして繰り返し愉しい話を聞ける事。

母は父が身罷る場面に立ち会ったにもかかわらず、次の日には忘れてしまっていました。

空になったベッドを見て、「あそこに寝てた人はどこいったの?」と訊きます。

いっそのこと入院していることにしようかと思いましたが、

死んだのだと伝えると、「死んだの!葬式行った?覚えてへんわ〜」と、

そして3分もするとすっかり忘れて、違う話をしています。

このまま思い出さなければ良いのになと思っていました。

やがてベッドが無くなると、父のことを口に出す回数も減っていきました。

母の表情からは、忘れたのではなく受け入れた様に思えました。

もっと認知症が進んで、楽しい記憶だけ残るようにと願いました。

少しずつ認知症が進んでいきましたが、

家族のことは最後まで覚えていてくれていたのは有り難かったです。

身罷る一月ほど前から少しずつ痛みを訴える様になりましたが、

朝晩のロキソニンの内服だけで抑えられているようでした。

何度訊いても「少し痛い」か、「痛かったが薬飲んだら治った」と言い、

病院で診てもらおうと言っても、「大丈夫」としか答えませんでした。

1週間前くらいから急激に食欲が落ちてきて、

それまでの楽観的な雰囲気が無くなってきました。

2日前には持って行った食事を1/3ほど食べることができましたが、

そろそろ無理にでも緩和ケア病棟に入院してもらおうと連絡を取った夜に、

急変して入院となり、入院の翌日に旅立ちました。

もっと早くに入院して貰っていれば、

しんどい思いをさせなくて済んだのでは無いかと悔やみました。

父が身罷って一月足らず、束の間の一人暮らしでした。

やっぱり一人は寂しいと、すぐに父の元へ行ってしまいました。

 

ずっと昔に、親孝行には3つあるのだと聞きました。

生まれて3歳くらいまでの天使の様に可愛かったのが一つ目の親孝行。

二つ目は、子孫を残すこと。これは自分自身への親孝行でもある。

三つ目は、親よりも長生きすることだと。

それだけで十分だと、それ以外のことは大概で良いのだと。

 

両親ともに、徐々に衰弱して身罷るのかと予想していましたが、

予想を裏切り、あっという間の旅立ちでした。

とても悲しい気持ちと共に、両親を見送り漸く親孝行ができたんだなと思います。

両親とは現世ではまみえる事は無くなりましたが、

自分が生きている限り両親のDNAは自分の中に半分づつ生き続けているのだと、

寂しがる事はない、自分を見つめれば良いのだと。

同じ様に兄弟の中にも半分づつ生き続けている。

また、夫婦どちらかが先に逝っても、子供達の中に妻(夫)は半分生きているのだと。

正にそれが3つの親孝行であり自分孝行でもあるのだと思い至りました。

 

介護生活の中で身をもって教わることが沢山ありました。

心よりの感謝を捧げます。

 

前職の歯科医師としてのささやかな自慢があります。

父は私が開業した時点で既に上顎は総義歯でした。

顎が痩せ数回金属床を作り直すことになりましたが、

金属製の義歯用人工歯を使用したおかげか、

噛むのに不自由することはありませんでした。

下顎は前歯部のみ残存で両側臼歯部は義歯でした。

その状態で20年ほど経過して、4前歯が抜歯になり、

両側犬歯のみ残存で数回義歯を作製しましたが。

終生犬歯は残存し、座りの良い義歯となりました。

母は8本の欠損があり、多数の補綴は行いましたが、

20本の歯が残っており義歯は無く、嚥下機能も衰えませんでした。

8020(80歳で20本)を超えて9520(95歳で20本)の達成です。

 

現職の写真家としての目は、両親からの贈り物だと思っています。

特に母は絵が上手で、彦根市展に毎年入選し、無監査となる腕前でした。

直接絵の手ほどきを受けた事はありませんでしたが、

色彩感覚は、知らず知らずのうちに、家庭の環境に依って育まれたのだと思います。

 

母が旅立ってから1週間ほど経った時に、「お線香焚いた?」と妻に訊かれました。

家にはお仏壇はありませんし、お香も焚いていません。お寺さんへも行っていません。

私には全く感じられないのですが、ふっと匂いがするのだと言います。

家の中だけでなく外でも、微かなお香の様な匂いがするのだそうです。

きっと母が来ているのだと思えました。

私のところへは夢にも出てきてくれないのに 、、、

でも私のところに出てこないのは、自分自身を見つめればそこに居るから。

既に自分の中に父と母が居るから、出てくる必要は無いのだと。

 

5年ほど前に撮った、最初で最後の両親の写真です。

井伊神社旧社殿修復プロジェクトの第一弾として
知名度をUPする為に『HIKONE』と題した写真集をクラファンで作成するべく
井伊神社旧社殿の撮影をさせて頂いた
1年前と変わりはない様に見えるが、確実に劣化してきている

50年来覆屋に囲われて雨風からは守られているものの
本体の修復は全く手付かずのまま放置されている
社殿脇にある枝垂れ桜が立派なだけに
囲われた旧社殿が一層みすぼらしく情けなく見える
風景的にもとても違和感がある
彦根市民としてこの状態は嘆かわしく恥ずかしい限りです
​写真集は井伊神社をメインに据えつつ
彦根近辺の美しい景色も紹介する予定です
井伊神社の知名度を高めて旧社殿の修復をクラウドファンディングで
実現したいと考えています

「いいかげん」と「良い加減」

「いいかげん」は適当って意味  

「良い加減」は丁度良い塩梅ってこと

丁度良い加減ってのが難しい

前職では正しい事を伝えなければならない  

間違ったことは出来無いって思いが強かった

今考えると強迫観念と言って良い  そのことに転職して気づいた

ゴメンで済めば警察いらんわってことさえしなければ、

世の中そんなに気張らなくても、間違ったらごめんなさいで

訂正すれば良い(でしょ?)

関西弁で「ええもん」とか「ええやん」っていう

つまり良い物とか良いねっていう意味

でも「ええ」にも2種類ある

どうでもええ場合と

ホンマにええ場合とがある

うちの次男がええもんをよくくれる

大抵は(自分が要らなくなった)どうでもええもんだが

たまにすごくええもんをくれる^^

それぐらいが丁度ええかげんかもw


写真集は鋭意作成中です
クラファン始動までもうしばらくお待ちください

​試験的に撮影した波の写真が、良いアクセントになりそう

↓↓​↓↓​↓↓​↓↓

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お待たせしましたっ!

井伊神社旧社殿修復プロジェクト第一弾として

クラウドファンディングにて資金を募り

「HIKONE」と題した写真集の制作を企画致しました

井伊神社旧社殿の姿はもちろん

文化・歴史に育まれた地元彦根の

美しい景色も含めた写真集となります

井伊神社旧社殿の現状を知って頂くとともに

湖国の美しい瞬間を感じて頂ければ幸いです

微力ではありますがこの写真集が彦根城の世界遺産登録への

後押しになればと願っております

*クラウドファンディングは未だ開始していません

詳細は後日お知らせいたします

このところシャッターチャンスを逃すことが多い
狙った場所へ早めに着いてスタンバイしてるんだが
まだ時間があるからと違うことをしてしまう
落ち着きがない・注意力散漫・いらんことしぃ^^
フレーミングを決めてその時まで待ってればいいんだけれど
違うことを考えてしまう。欲張りなのか?
もっと違うパターンで撮れないか?他にいいところはないか?
よそ見しているうちに、そちらに没頭してしまう
はっ!と気づいた時にはもう遅い
出会い頭ってのがあるけれど
出会った時はシャッターチャンスの後のことが多い
チャンスの前にスタンバッてないと
チャンスの時には撮れない
分かってるんだけど理解できてない
チャンスの女神様に後ろ髪はないっ!
​って誰かに聞いた覚えがある

​作品をスライドショーにしてyoutubeに公開しました

​どうぞご覧ください

https://www.youtube.com/watch?v=jYWmhFPQmrg&t=1s

個性的と独創的

人はそれぞれ個性がある

何もしなくったって個性がある

100人が同じ景色を同じカメラで同じレンズで

同じ設定で撮ったって

全く同じ写真は1枚たりとも無い

似た様な写真は有っても

全く同じ写真は1枚も無い

切り取る角度・方向・距離など

意識せず撮ったとしても

その人の癖が自然と現れる

設定などと面倒なことをしなくても

今のスマホのカメラは優秀に写してくれる

まさに個性的な写真を撮るアイテムになっている

しかし独創的な写真を写すためには

写真世界の仕組みを知る必要がある

写真史を知り、どう言う風に写真が発展してきたか

そして現在何が起こってどう言うものが流行っているかを

知らなければ、独創的な写真は撮れない

写真で何かを表現しようとする時、技術は必要となってくる

そして既に過去に撮られている(表現されている)事を知り

それを捨て去ることによって新しい創意が産み出される

それが出来てこそアーティストと呼ばれる

まだまだ修行が足りない

もっと先へ

昨日初めて母のポートレイトを撮った

介護生活の中で今何が出来るか考えたら

それは写真を撮ることしか無い

自然光で撮りたかったので

天気のいい日の日中

母が描いた絵の前で撮影

さらに

庭の見える縁側で

日向ぼっこしているところを撮った

風景を撮る時なら絶対に撮らないシチュエーション

直射日光が当たりコントラストが高い

要介護3で認知症+耳が遠い

フォトセッションになってるんだろうか?

爺医ってなかなか言い得て妙

じじいって呼ばれると、確かにそうなんだがあまり良い気はしない

自分のことは自分でじじいとは言う

文字に書くとJ J I はじぇじい? I が見えずらい

G G Iも I が見えずらいしG(ごき)感が強くなる

最近 Z Z Y ってのもみつけた これは字面が良いが

文字として書くなら爺医が良い

爺の医者 前職は歯科医 

免許を返納したわけではないのでいつでも診療可能

じじいと呼ばれても脳内変換して爺医にすれば尊称になる

PCでは爺って簡単に変換出来るが

実際には今まで書いた事が無いかも

いや書けないかも

当たり前の話だが

「絵を描こうと思った人だけが絵を描ける」

フォトグラフも同じだと思う

闇雲にシャッターを押しても  何らかの画像は撮れるが

それは意志の働かない無秩序な切り取りに過ぎない

万に一つ 意味ありげな画像が写ったとしても

そのままでは意味をなさない

フォトグラフはフォト=光とグラフ=描くで かつては光画と呼ばれていた

写真と訳すより光画と訳したほうがしっくりとくる

デジカメで採取した光のデータを使って絵を描く

その為には単にシャッターを押すだけではなく

光で描くイメージを持ってシャッターを押す

つまり 撮ろうと思った人だけが撮れる

イメージが有って初めてシャッターを押す

出会い頭だとしても それが

自分の中に有るイメージと合致したから撮る行為に繋がった

そもそもイメージが無ければ出会い頭でも

それを撮ろうとは考えない

けれども今あるイメージだけだと手詰まりになる

もっと見聞を広めイメージを広げないと

絵画に学ぶことは多い

フォトグラフは自分を写す鏡

光で描く言葉

もっと引き出しを増やそう

 

 

「常識の嘘」

日光東照宮って行ったことはないが三猿は知っている

井伊神社の月次祭の折に禰宜さんから三猿の話を伺った

見猿・聞か猿・言わ猿は、余計なことは見ない、聞かない、

言わない、ということを表すと思われて居るが、

それは間違いであると。

子供に対する教育方針なのだそうだ

子供に対して悪いことは見せない、聞かせない、言わないのだそう

​*写真は井伊神社外陣天井絵と内陣入り口

「マイブーム」

最近のマイブームは月と彦根城

市内全域からお城は見えるんだけど

お城と月が重なって見える場所は限られる

樹々や電線や建物に邪魔される

江戸時代だったら撮りやすかったろうに

ライトアップされたお城は明るい

月も意外と明るく、そして早い

露出を上げると白飛びするし、下げると黒潰れする

自然光で撮れれば良いんだけれど

そんな機会は一年に一度有るか無いか

望遠ではブレ対策もとても重要

カメラ・レンズ・三脚をブラッシュアップすれば

くっきり・はっきり・明るく撮れるだろうけれど

果たしてそれが良い絵だろうか?

高い絵の具を買えば上手な絵が描ける訳じゃ無い

光(フォト)を捉えられれば

描く(グラフ)ことは出来る

今あるもので頑張ろう~

「写真の大きさ」
岐阜城と月の様な彦根城での月城を撮りたくて
PCで場所を調べるが、月の方向はわかるが高さが判らないので
現地へ行ってみた
何度も行ったことのある場所で、お城が見えることも分かってたが
月がどのくらいの位置に来るかは現地でないと判らない
スマホのアプリで月の位置を見たけれど、どうも動作が不安定で
はっきりと判らないが、おおよその方向だけは判った
満月の日、早朝、眠いし曇ってるし撮影に行こうか迷ったが
行かないで後悔するよりも、行ってみてダメなら諦めもつくし
次回のロケハンにもなるからと出かけた
明るさは丁度良かったが、月の位置が高すぎる・・・
見た瞬間、月城は撮れないと判った
天守と満月とは随分と離れて居る
方向的にはおおよそ合って居るが高さが合わない
ピンポイントでお城が見える場所なので、移動もできない
ならばどうする?撮らずに帰る?
今の位置関係だと、お城と月と両方を入れて撮ろうと思うと
どちらの大きさもとても小さくなる
イメージとしては、この倍の大きさで撮りたいが位置的に無理
イメージとしてあるのはA2からA3の大きさ
だったらこれをA0で出力したら
月の大きさはA2をイメージした倍の大きさで出力される
つまりイメージ通りの大きさになるってこと?
ん〜・・・どうもA0の大きさってイメージできない
この写真をスマホで見たらお城と月は小さいに違いないが
A0の写真で見ると適正な大きさに見えるのか?
100インチ(凡そA0の倍)モニターで見れば、逆に大きすぎる?
もう一つは、観てもらう距離
A2の写真を1mの距離から見るのか5mで見るのか
スマホやPCならごく間近で見るわけだし
100インチのモニターなら5mくらいか
ということは 大きくして観てもらう作品
A2・A3サイズで観てもらう作品
ポストカードサイズで観てもらう作品と
それぞれのイメージで撮れば良いってことか
きょうも思案に暮れる^^

 

「聖なる一回性」と言う言葉

ドイツの思想家の考えだそう。

複製品には「聖なる一回性」の感動がなく、ライブの体験すなわち、一回きりの、一回しかない事にこそ感動の源がある。のだそう。

直弼公の「一期一会」も同じ考えだと思う。

撮影行為は正に「一期一会」であり「聖なる一回性」でもある。

しかし撮影した画像をディスプレイなり、紙媒体なりに写したものは、複製品であり、撮影者にとっては「聖なる一回性」では無い。

しかし、それを観た人が撮影時の感動を感じてくれたとしたら、それは「聖なる一回性」と言っても良いのでは無いか、と思う。

更に、フロイトは「はかなさ」について、「美しいものが、儚い故にその価値は上がる」と言って居る。

すなわち、美しいものは失くなるが故に価値がアルのであり、文字通りアルのが難しいって事が「有難い」、という日本人の価値観に繋がって居る。

更に更に、その価値観は「侘び寂び」にも繋がっていくのだろう。

結果として自分の中にある価値観を表現したものがフォトグラフに現れてくる。そしてそれをどれだけ研ぎ澄まして表現出来るかがフォトグラファーとしての資質だと思う。

現実は仮想現実よりもリアルであり、仮想現実として現実を表現しても現実を追い越すことはできない。

ならば、せめて現実のように思える仮想現実を創り上げる事が出来ないだろうか?

フォトグラフは過去の或る一瞬の現実であり、過去に有った紛れも無い事実。

現実は観た瞬間に過去になっていくが、フォトグラフは過去の一瞬を永遠の一瞬に留められる。

観た人を一瞬の現実に引き戻せるのでは無いか?

と、きたやまおさむ著「良い加減に生きる」の出だしの一言からつらつらと連想した。

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