Japanese Photographer
Sian Nikuleru Official Site


Sian Nikuleru(Artist Name)
Born in 1956, living in Hikone, Shiga Prefecture
Dentist (real name: Shimano Osamu)
To focus on photography, closed the dental practice at the end of 2021
As a supported artist of the Japan Washi Photography Association, gaining popularity in overseas museums and galleries
My artist name, Sian Nikuleru, comes from the Japanese phrase "shian ni kurueru."
"Shian ni kurueru" means to be at a loss as to what to do and unable to organize your thoughts.
写真家・シアン・ニクレル
1956年生まれ 滋賀県彦根市在住歯科医師(本名:島野修)
アーティストネームは、日本語のどうしようかと考えあぐねて、考えがまとまらない様子を意味する「思案に暮れる」に由来する。
写真家に専念するために、2021年に歯科医院を閉院。
日本和紙写真協会支援作家として、海外の美術館博物館で人気を博する。
閉鎖中の彦根市井伊神社旧社殿修復の支援活動に寄与。
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ことの始まりは、井伊神社旧社殿の横にある、大きな枝垂れ桜を撮影したことでした。それまでは京都の寺社仏閣や風景ばかりを撮っていたのですが、これをきっかけに、地元の景色にも目を向けるようになりました。
鳥居をくぐり参道を進むと、正面に覆屋に囲まれた、まるで工事中のような建物が見えてきました。そのすぐ横に、目的の大きな桜がありました。
良い撮影位置を探そうと周囲を巡ってみましたが、美しい桜とは対照的な無骨な覆屋が正直なところ邪魔な存在でした。覆屋を避けて撮ろうとすると、どうしても窮屈な撮影になってしまいます。
帰りがけに覆屋の中を覗いてみると、そこには彩色も剥げ落ち、すっかり老朽化した社殿が佇んでいました。実はそれまで、私は井伊神社の存在を名前くらいしか知りませんでした。なぜこれほど大袈裟な覆屋で囲まれているのか、その理由も分かっていませんでした。
その後も何度か撮影に赴くうちに、「これだ」と思える一枚を撮ることができました。それは4月の桜が満開を迎えた日のこと、夕刻近くに撮影に出かけた時です。だんだんと雲行きが怪しくなり、今にも雨が降り出しそうな風が、桜の枝を強く揺らしました。その時ふと「風になびく、動きのある桜の姿を撮れないだろうか」と考えました。
そして、風の強さに合わせて慎重にスローシャッターを切りました。そうして誕生したのが「井伊神社の櫻」の作品です。
この撮影時の話を、日本和紙写真協会の田中会長にした折に、話題に上ったのが、あの覆屋に囲まれた井伊神社の旧社殿のことでした。
「もう50年近くも覆屋に囲まれたまま修復が進んでいない。彦根市民としては恥ずかしく、嘆かわしい限りだ」と話したところ、田中会長から「この桜の写真を基にクラウドファンディング(CF)を行うこと」をご提案いただきました。
それまでは自分の興味の赴くままに、趣味として撮ってきた写真が、「井伊神社旧社殿の修復」という大きな目的を持った瞬間でした。
そこから私自身がCFの発起人となり、計画を具体化するため井伊家のご当主に連絡を取り、詳細をお話ししました。また、毎月一日に行われる井伊神社の月次祭にも参列させていただくようになり、元滋賀県議の細江正人氏、彦根市議の矢吹安子氏、元参議院議員の故・河本英典氏、そして「井伊神社たちばな会」の皆様等との貴重なご縁をいただきました。多くの方々から多大なるご協力と心強いアドバイスを頂戴し、続いて彦根市や商工会議所、井伊神社ともご相談を重ねながら、計画を進めてまいりました。
この出会いをきっかけに、私自身も井伊直弼公の和歌集「柳廼四附」の勉強会に参加するようになり、彦根城のボランティアガイドも始めるなど、郷土の歴史への想いは日々深まっていきました。
写真には、言葉を超えて「遺すべき美しさ」と「守るべき現状」を一瞬で伝え、人の心を動かす力があると信じています。
かつては景観を損ねるものとしか思えなかったあの「覆屋」が、今では社殿を必死に守り抜いてきた「鎧」のように見えます。

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2023年に彦根市教育委員会がまとめた『彦根市指定文化財 旧井伊神社社殿調査報告書』によると、旧井伊神社社殿は、江戸時代後期の弘化2年(1845年)に建立されました。日光東照宮の流れを汲む精緻な彫刻や華麗な極彩色が施されており、「江戸時代後期における彦根藩の最高峰の建築技術と意匠を今に伝える、極めて価値の高い建造物である」と位置づけられています。
戦後、社殿は深刻な危機に直面しました。長年の風雨による雨漏りや老朽化に加え、最大の原因となったのが「隣接するセメント工場からの降灰被害」です。アルカリ性を含んだ微細な粉塵が風雨とともに建物に付着し、貴重な極彩色や木部を激しく汚損・風化させていきました。 この致命的なダメージから美術品ともいえる社殿を物理的に守るため、昭和49年(1974年)頃、緊急措置として社殿全体をすっぽり覆う鉄骨造の「覆屋(保護シェルター)」が建設されました。
戦後、井伊家から管理を引き継いでいた多賀大社は、覆屋の中で社殿を大切に守り続けてきました。その後、平成25年(2013年)2月に隣接地へ「新社殿」が完成して御神体が遷座されたことを機に、役割を終えた旧社殿は多賀大社から彦根市へと譲渡(寄贈)されました。 市への移管直後である同年10月、正式に「彦根市指定文化財」となり、公的な保護・調査の枠組みに入りました。
覆屋によって昭和から令和にいたるまで「当時のままの状態」が奇跡的に保存されてきましたが、建物自体の経年劣化や地盤の緩みは今も進行しています。 報告書では、詳細な現況調査の結果をもとに、「今後は国や県の指定文化財への昇格を目指し、覆屋の中での抜本的な解体修理と、将来的な一般公開・活用に向けた計画的な修復が不可欠である」と締めくくられています。
※ダウンロードサイトで、彦根市指定文化財 旧井伊神社社殿調査報告書全文がご覧いただけます。

